出産記録(手術前まで)

今日やっと名前が決まったので明日あたり報告連絡がんばります!
とりあえず超長いけど出産記録まとめー!

土曜日の午後に診察、帰宅、夕方から10〜15分間隔でお腹の張りがあり、そこまで痛くなかったものの夜8時頃に病院に電話して診察に行くことに。病院からは『経産婦の場合はお腹の張りが強くなくても15〜20分間隔になったら連絡ください』と言われていたので。内診の状況は夕方と変わらなかったけれど、LDRに入れてもらう。この時点では逆子ではなく「このまま出産につながるといいですね」と先生。その後、不規則ながらも陣痛が続くので『きっとこのまま産まれる…はず!』と思い、メールで旦那を招集。けれど夜の12時を過ぎた頃には痛みがどんどん遠のいていき…ただ不安な気持ちでひとりテレビを見ている状況に…!そして夜2時頃には眠りについた。朝にまた先生に診察をしてもらい、昨日の診察とあまり変わらない状況ということがわかり…「前駆陣痛だったみたいですね。今日も外泊(帰宅のこと)しますか?」と残念なことを聞かれるものの、また夜中になってからお腹が痛くなり不安になって病院に連絡するハメになるのが嫌だった私は「外泊はちょっと怖いので」と断った。先生と一緒に内診してくれた助産師さんは「まだ頭の位置が全然高いもの、まだまだだわ!」みたいなことを言ってきて、なんだかすごく失礼な人だなと思った。娘ちゃんのときに、へその緒が絡まってると全然頭が降りてこないという経験をしている私は、頭の位置が高いことは生まれてくる時期とはさほど関係がない場合もあるということを知っている。今回もへその緒が何かしらの状態で絡まっているに違いない!という確信があった。
日曜朝イチの飛行機で北海道に到着した旦那は娘ちゃんとの久しぶりの再会を果たして、それは喜ばしかったけれど、息子が今の所まだ産まれてきそうにないとのとこで『なんのために来たんだっけ?』状態に…。私は「私が悪いの?いやいや、こっちの人(お腹の子)だよ」とお腹を指差して言ったけれど、旦那いわく、私全体を丸く指差して「おれにとってはこれだよ」と言っていた。
せっかく旦那が来たんだからとのことで、私の親は「外泊できるなら、したら?」と言ってきたけれど、外泊がどうしても嫌だった私は、消灯時間である夜9時まで『外出』させてもらえないか病院の人に交渉してみることに。結果「リスクのある妊婦さんとして入院していただいているので、夜に移動されるのは危ないです。夜はスタッフも手薄で何かあったら困るので今夜はこのままいてください」と断られる!頼んだタイミングも夕方近かったのが悪かったみたい…夜のスタッフの数はその日のもっと早い時間に決まるっぽかった。結局、その日は旦那と娘ちゃんが長い時間面会に来てくれて、夜の7時前くらいに帰っていった。その日は久しぶりのパパが側にいたおかげか、帰り際に娘ちゃんは私に「バイバイ」をして素直に帰って行った!!なんとびっくり!
ちなみに病室は4人部屋だったものの、入院患者さんが少なかったおかげで1人で貸し切り状態で使えていたので、小さい子の面会もあまり気兼ねしなくて大丈夫だったのが良かった。予定では、月曜の朝イチにまた診察をして、逆子でなくて子宮口の状態も良ければそのまま誘発分娩にチャレンジするかどうかを決めるということになっていた。旦那は月曜朝イチの飛行機で東京に戻ろうか悩みつつ、結局月曜の朝の診察の結果を待ってから帰りの飛行機を決めることに。
日曜の夜は、大きいお腹をかかえて固いベッドで寝るのが辛く、熟睡できずにずっとうとうと。廊下の方から聞こえてくる赤ちゃんの声やなんかが、やけに遠くの世界のように感じて、私はたまにちょっと痛むものの全然陣痛にならなそうなお腹をさすりながら「もう出てきて良いんだよー、抱っこしようよー」と言いながらまたうとうと。これが午前3時頃のこと。
そしてうとうとし続けてるうちに、バシャー!!っといきなり破水。びっくりしつつすぐにナースコール。これが午前4時すぎ。すぐに旦那にメールで一報を入れるけど当然寝ているので応答なし。産褥ショーツ&ナプキンに交換するよう指示されたけれど、履き替えながらも既にグッショリで使い物にならず、結局紙オムツのパンツを履かされた。この間にベッドマットも2回交換。これもし家で破水だったら超大変なことになってた…絶対に対応できない!病院に泊まって良かった!あと、旦那がこっちにいる間にお産になって良かった!と心底思った。あと、大部屋を貸切だったのも良かった。朝の4時に部屋の電気つけて大騒ぎしてるなんて迷惑すぎる…。看護師さんに「頭はどっちにありそうですか」と聞かれて「下…のような気がします」と答えたけれど正直ここのところ頭の向きはよく分からなくなっていた。
消防隊員の如く駆けつけてくれたボーズの先生は、すぐにエコーの準備をして診てくれて、結果、頭の位置は私のお臍の左側あたりでこれは紛れもなく、逆子!思わず「こいつ…!」と声を漏らす私。内診すると、もう卵膜もなくて、赤ちゃんのお尻が触れたらしい。先生はこの段階になっても「回ってくれないかなぁ…」と、外回転術的な力を加えるものの、すでに羊水がほとんどなくなってるお腹の中ではもう回転できるスペースはなさそうだった。先生からは産み方をどうするか聞かれ…このまま経腟分娩か、帝王切開か。赤ちゃんのリスクを考えるなら基本は帝王切開、でも望むなら経腟分娩も絶対ダメというわけではありません、というのがここの病院のスタンス。私は、すんなり産めそうならもちろん経腟分娩が良いけど、おそらくへその緒で絡まっているだろうビッグな赤ちゃんを、お尻方向からスルンと産める自信なんかあるわけもなく、陣痛が起き始めているものの子宮口が充分にひらくまでどのくらい時間がかかるかわからないし、すでに羊水もほとんど無いし、お互いにツライ思いをしそうな気がしたので、ちょっと悩んだけれど無難に「帝王切開で…」と答えた。この時点で朝6時前頃。帝王切開の可能性が強まったので旦那に電話連絡すると意識朦朧ながら応答してくれた。あとから聞くと、一緒に寝てた娘ちゃんが先に電話で起きて、エーンて泣いてパパを起こしたんだそう。グッジョブ!「何時になるかわからないけどおそらく帝王切開になるので、出動準備をして携帯握って待ってて」と伝える。父と母にもメールで連絡。母から応答あり。
もう破水しているので、経産婦ならこのまますぐに陣痛が強まって生まれてきてしまう可能性もあるらしく「手術するなら午前中には手術室に入らないと…」と最初は悠長な話だったけれど、間隔は10分ほど開いているもののこの時点ですでに「イテー」と言いたいくらいのかなり強めの陣痛もきていた。最後の食事時間と水分補給の時間を聞かれ、ご飯は病院食を夜7時くらい、飲み物はお茶を午前3時くらいに飲みましたと答える。これも結果的にすごく良かった…手術のときは本来ならあらかじめ絶食を言い渡されるんだけど、今回たまたま12時間ご飯食べてなかったことになったので助かった。この間に準備用のストッキングを履いたり、手術部分の毛を剃ったりなどの準備をした。
病院での調整の結果、7時に手術開始予定で話が進み、6時17分の電話連絡で正式に旦那招集。電話連絡の仕方が、病室で私の携帯から連絡っていう超最速の方法で…『あ、病室だけどケータイ使っていいんだ?』って余計なことを思ったりした。私から電話で話してもイマイチ緊急性が伝わらないので、途中で看護師さんに「代わろうか?」と言われ必要事項を話してもらう。母にメール連絡した結果、父が車を出して旦那を病院に送ることに。みんなの連携プレーで最速で病院に到着した旦那。
私と旦那で麻酔科の先生に説明を受けて、旦那が同意書にサイン。帝王切開の同意書はあらかじめ私が書いていたものを提出。「いやー、(北海道に)来た甲斐があったな!」と言う旦那。私としても旦那がこっちにいるうちに何かしらの方法で生まれてくることになって本当に呼んでおいて良かったなー!と思う。同意書にサインしてくれたり、手術室に送り出してくれたり、病院の様子を親族に適宜連絡してくれたりと、役に立った(失礼?)ことこの上ない。
いざ、手術へ!